盛岡美術

骨董よもやま話(コラム)

骨董よもやま話(1)

 骨董という狐狸の住む怪しい世界と思っている人も多くいますが、実際は意外に単純で明快なものです。

 事実、ニセ物を高値で売りつけたり、欲で買ってはまったりしている人もいないではないですが、やはり骨董に対する姿勢が悪いからでしょう。

  私が骨董を手掛けて早いもので四十年になりました。その間、いろんな事がありましたが、もう十年前程前になりましょうか、仙台に住んでいるコレクターのTさんが不思議なものを手に入れたと持って来ました。

 それは鉄製で長さ三十㎝位の十字架で中心に地蔵菩薩が鎮座しているという奇妙な物でした。私はあっと息をのみました。というのは当時、碧祥寺博物館で隠れキリシタンの収集中で調べ捜していた品でも珍品の一点でした。

  十字架の部分は壁に塗り込め、地蔵を表面に出し偽装し、崇拝した物です。

  Tさんは露店で見つけたそうでミカン箱に金物の十手やトンカチの頭に交じってガサガサに錆びた状態であったそうです。しかも三千円だったと言うのでした。

 結局、この隠れキリシタン十字架は三十万円で他のコレクターに譲りましたが、こんな掘り出し物が、未だある世界が骨董の楽しさでしょうか。

 ちなみに、この十字架の同型が藤沢町のキリシタン博物館に展示されています。又碧祥寺には、残念ながら御縁がありませんでした。

骨董よもやま話(2)

 私共の中で使われる隠語の面白いものを一つ紹介します。

 御客の中にもいろんな方がおりますが、頻繁に店に来られて長い説明を求められる方がままいるものです。

  
 それはもう大変なもので「朝鮮物にしては肌がコマカイのでは?」等と言おうものなら「自分の見解では中国南方ではないか、いや広東省か?」と次から次へと話が進んでしまいます。

 そして、あれは何、これはどこの産、何時代か?と他の御客をそっちのけで話し込み、評論家大会に相成ります。

 挙句この手の御客は、不買運動に参加してるが如く、全く品物を買いません。

 

 この様な御客を夏のハマグリと申します。

 「店はうまくやっている?」「いや、ハマグリばっかりさ」。夏のハマグリ、その心は身腐って(見くさって)貝腐らない(買いくさらない)。

コレクター

 私は仕事が骨董屋であるので、多くのコレクターとお付き合いがあります。

 実は私もコレクターの一人でありまして、共食いの感が無いでも……。が、自慢のコレクションなので、是非、ここに御紹介したいと思います。

 

 父(喜平・雪博士)が雪の研究中に生まれたという、なにかメルヘン作家の様な、根性が無いと言われそうな名前を付けられ、成長するに、それは漠然としたものではありましたが、雪との深い絆を感じる様になりました。

  四十年も前になりましょうか、東京から送られてきた古書目録に目を通していてびっくり仰天したものです。そこには江戸時代の浮世絵美人の着物の柄に、見事な雪の結晶を見つけたからでありました。

全く現代の結晶図とほぼ同じ文様で、しかも何十種類も数え、江戸はおろか、全国的規模で流行していたのであります。

  着物や帯、刀の鍔(つば)、印籠やお盆、ソバ猪口(ちょこ)、古伊万里皿、くしやカンザシ等。多方面にわたり当時の人達の雪華に対する美しさ、神の手で作られたと思われる程、見事なシンメトリー。未知の世界を知った喜びと驚きが伝わってきます。



 いつの世も、雪の結晶の美しさに魅せられた人々がいることに感動を覚えるし、世界から孤立していた鎖国時代に、この文化が日本に花ひらいたことに誇りすら覚えます。

 コレクションが昂じて子供二人(雪文、雪絵)、孫三人(雪音、雪天、雪大)まで、雪の字が付く名前でありますが、不思議なことに妻の名には雪の字はありませんでした。

長い間、コレクター相手に骨董商売をやってきましたが、どうやら「マニア取りがマニアになる」の感が禁じ得ないのです。「サブーい」。

下左・店主 隣・時代屋の女房 上・編集長

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